ホンダ

本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、Honda Motor Co.,Ltd.)は、本田宗一郎が創業した自動車メーカー。日本を代表する機械工業メーカーのひとつ。主にHondaのブランドでオートバイと自動車、汎用製品を製造している。新規分野へも意欲的で、ASIMOのようなロボットや飛行機についても開発を行なっている。創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名は本田宗一郎の姓から名づけられた。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は東京都港区南青山。東証一部上場。
ホンダ車(自動車セレクション)
新車情報
通称および東証での表示は「ホンダ」。ロゴはアルファベット大文字のHONDAを赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレート・アイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、マスコミに対し社名の扱いを「Honda」(横書き)もしくは「ホンダ」(縦書き)の表記を要望している。フランス語やスペイン語などはHを発音しないため、「オンダ」と呼ばれる事がある。
2004年7月に埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、国内本社機能の一部を和光へ移転させた。(海外本社機能は港区南青山)
ホンダの中古車
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沿革
戦前より自動車部品などを製造していた東海精機をトヨタグループに売却した資金を元に、1946年、静岡県浜松市山下町(後の山下工場)に本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発し、ヒット商品となる。 1948年に本田技研工業株式会社として設立。1949年に藤沢武夫を経営全権として迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による二人三脚の経営が始まる。 1963年には後年に「スポーツトラック」とも呼ばれることになるT360(日本初のDOHCエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。
ホンダの中古車査定
ホンダ車
その後もCVCC、VTEC、VTEC-E、i-VTEC、i-DSI、IMAに代表される高い技術開発力で「技術のHonda」に成長した。また1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。

自動車・二輪車・汎用だけでなく、ASIMO(アシモ)に代表される二足歩行ロボットの開発も行っている。このロボットは、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らしたという快挙も成し遂げた。

また、2003年末には、宗一郎が夢見ていた航空機業界への参入への第一歩となる試作機「HondaJet」の初飛行にも成功している。さらに、2004年2月16日には小型ジェット機用エンジンの事業化で、GEとの提携も発表。本格的に航空機ビジネスが動き出した。

藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術畑出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の福井威夫に至るまで歴代の社長は技術畑出身の人しかいないという珍しい企業である。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させるということをしない方針であった。ちなみに本田の長男本田博俊は後にホンダのアフターパーツメーカー無限を創業した。

企業には必ずあるはずの社長室が無いということでも有名で、ホンダの重役達は一つのフロアを共有して使用していることがテレビ番組で紹介された。
新車のホンダ
業務
主とした業務は、オートバイ、自動車、汎用製品の製造、販売である。オートバイに関しては世界第一位のメーカーであり、世界中のほとんどの地域で販売・運用されている。自動車に関しては、2003年には国内の軽自動車を含めた販売台数で、初めてトヨタ自動車に次いで第2位になったが、トヨタ自動車の反撃や日産自動車の躍進により、その後は再び国内販売3位に甘んじている。

ホンダは、元々メーカー主導による販売店ルートを持たない委託販売形式で、特に旧・プリモ店の母体企業に多いパターンである、オートバイ・自転車取扱店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店、地元有力者の商店などの小規模店が販売していた歴史があるが、大規模メーカーとなった現在のホンダでは、そういった歴史が逆に販売拡大の足かせになっている現状である事は否めない。このため、メーカー主導による販売店の再編成、営業販売員の教育などに力を入れている。

軽自動車主体であった、スズキも、90年代以降、積極的に普通車市場に製品を投入してきており、上位3社プラスマツダを含む5社の激しい市場争奪戦となっているのが日本市場である。北米では大衆車ブランドのホンダ(Honda)と高級車ブランドのアキュラ(Acura)で展開しており、大衆車で大きなシェアを占める。北米における売上げは、大きな収入源となっている。北米を含む海外では、国内では販売していないATVや船外機、水上オートバイなども取り扱っている。

ホンダ情報

モータースポーツ史
1949年
日米対抗レースにC型モーターサイクルで出場し、優勝。
1954年
2月、ブラジルの国際モーターサイクルレースの125ccにて、完走18台中13位。3月20日、藤沢「マン島T.T.レース出場宣言」を発表。
1955年
第1回浅間高原レースにてヤマハに惨敗。
1957年
第2回浅間火山レースでヤマハに負ける。
1959年
マン島T.T.レース初出場。最高6位。レース10年ぶりにチーム登録3名が全員完走、チーム賞を受賞。ロードレース世界選手権(WGP)参戦を開始。第3回浅間火山レースで、125cc、250ccにて1〜5位まで独占。
1960年
マン島T.T.レース125ccにて最高6位、250ccにて最高4位。
1961年
マン島T.T.レース125cc、250cc両クラスにて1〜5位まで独占。優勝タイムや最速ラップなど、記録をすべて更新。
1962年
三重県鈴鹿市に本格的自動車サーキット「鈴鹿サーキット」を完成。11月に同サーキットで第1回全日本選手権ロードレース大会を開催し、4クラス優勝。
1964年
1月、本田宗一郎、F1GP出場を宣言。8月、F1ドイツGPにRA271で初出場(13位完走)。
1965年
F1メキシコGP(メキシコシティ)で初優勝(RA272、リッチー・ギンサー)。
1966年
WGP全クラスに参戦、全クラスを制覇。この年をもってロードレース世界選手権撤退。またF2でホンダエンジンを搭載したブラバムが開幕11連勝を達成するが、同年でF2からも撤退。
1968年
F1レース活動の第1期終了。
1979年
WGP参戦を再開。500ccクラスでは4ストロークのNR500で参戦。
1980年
F2へのエンジン供給を再開。
1982年
WGP500ccクラスに2ストローク・3気筒のNS500を投入。
1983年
F1再参戦を発表、イタリアGPで15年ぶりに復帰(スピリット)英ウィリアムズと提携(〜1987年)。またWGP500ccクラスでフレディ・スペンサーがNS500でシリーズチャンピオンを獲得。
1984年
F1アメリカGP(ダラス)にて、F1レース活動第2期始動後初優勝(ケケ・ロズベルグ)。
1985年
WGPでフレディ・スペンサーがNSR500(2ストローク4気筒)で500ccクラスチャンピオン。250ccクラスとのダブルタイトルを獲得。
1986年
F1でWilliams Hondaとして初の年間優勝。
1987年
F1で英ロータスへエンジン供給を開始(〜1988年)、F1日本GPを鈴鹿サーキットで開催(〜2006年)、Williams Hondaが年間優勝(ドライバー優勝=ネルソン・ピケ)。
1988年
F1で英マクラーレンへエンジン供給を開始(〜1992年)、Honda Marlboro McLarenが16戦15勝で年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)。
1989年
F1でHonda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アラン・プロスト)。
1990年
F1でHonda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)。
1991年
F1で英ティレルへエンジン供給(この年のみ)、Honda Marlboro McLarenが年間優勝(ドライバー優勝=アイルトン・セナ)。
1992年
F1レース活動第2期終了。
1994年
CARTシリーズに参戦、エンジン供給を開始。NSXでル・マン24時間レースに参戦開始。
1995年
ル・マン24時間レースにて高橋国光らオール日本人ドライバーのNSXチーム、GT2カテゴリーでクラス優勝。
1996年
全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にて服部尚貴がAccordでシリーズチャンピオンを獲得。
1997年
栃木県・茂木町に日本初のオーバルコースを持つツインリンクもてぎを開業。この年から現在(2006年)まで鈴鹿8時間耐久ロードレースにおいて自社製車両が10年連続優勝中。
全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にて中子修がAccordでシリーズチャンピオンを獲得し、この年をもって全日本ツーリングカー選手権への参戦を終了。
全日本GT選手権 (JGTC) にNSXで参戦を開始。
2000年
F1レース活動の第3期をB・A・R Hondaとして開始。
全日本GT選手権にて道上龍がNSXでドライバーズチャンピオンを獲得。
2001年
F1で英ジョーダンへエンジン供給を開始(〜2002年)。
2002年
CARTシリーズでの活動を終了。
2003年
IRLにを開始。ロードレース世界選手権(WGP500cc→MotoGPクラス)でNSR500とRC211Vにより3連覇、WSSで2連覇。
2004年
F1アメリカGP(インディアナポリス)でB・A・R Hondaの佐藤琢磨が3位表彰台に立つ(F1の表彰台に日本人が立つのは鈴木亜久里以来14年ぶりの快挙)。また、ジェンソン・バトンが10回の表彰台登壇を果たすなど、ドライバーズランキング3位となり、B・A・R Hondaもコンストラクターズランキング2位となる。
IRLでINDY500初優勝(1位〜7位独占)、16戦14勝で年間優勝(ドライバー優勝=トニー・カナーン)、松浦孝亮が日本人初のルーキー・オブ・ザ・イヤーで3冠達成。
2005年
IRLでINDY500の2年連続優勝(1位〜4位独占、優勝者はダン・ウェルドン)達成、17戦12勝で年間優勝(ドライバー優勝=ダン・ウェルドン)。
FIM世界耐久選手権 、鈴鹿8時間耐久ロードレースでワークスチームのSeven Stars Honda 7とSeven Stars Honda 11が1−2フィニッシュ。
2006年

RA-106(バトン車)F1でB・A・Rの株式を100%取得し、38年ぶりにオールHondaとして参戦。第13戦ハンガリーGPにてジェンソン・バトンによりF1第3期初優勝、オールHonda体制では1967年第9戦イタリアGP以来の勝利を記録する。
F1で日スーパーアグリF1にエンジン供給開始。
サーキット事業を強化するため、鈴鹿サーキットランドとツインリンクもてぎが合併し株式会社モビリティランドが発足
IRLにおいてホンダのワンメイクで全チームにエンジンを供給。
2007年
ALMSのLMP2クラスに参戦するチームにエンジン供給を開始。

ホンダの中古車ガイド

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